唐話辭書類集別巻(普及版)
2010-7-30
長澤規矩也
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(諺解校注古本)西廂記 五巻五折〔元王實甫撰 關漢卿續〕〔遠山圓
陀〕(荷塘)傳鈔本 半五冊
一噱道人諺解と稱する譯解笑林廣記二巻(文政十二年刊)の、和泉屋
金右衛門等の奥附に、
諺解校注古本北西廂記 元王實甫塡詞/荷塘先生注釋 近刻
覺世名言一名十二樓 ?李笠翁述/荷塘先生譯觧 同
諺解注釋琵琶記 元高則誠塡詞/荷塘先生注釋 同
の三行があり、その首行に當る書が本書である。この廣告について
は、?木博士が夙に「遠山荷塘が傳の箋」中に言及され、一噱道人と
は、その書の刊年と荷塘の歿年(天保二年)とは三年の差なるによっ
て、年代は符号するが、彼と親交があった朝川善庵の碑文に、北西廂
記注釋・月琴考・胡言漢語考の數部脱稿と言って、譯解笑林廣記をそ
の著として擧げないので、東條耕(琴臺)の「近代名家著述目録續
編」に荷塘の一號として、その書を擧げたのを、誤聞であろうと言わ
れた。それはともかく、私も、學生時代から本書の傳本を捜していた
が、古城坦堂の生存中、その關口臺町の邸を訪れて、坦堂が得意顔に
本書を示されたことがあった。今、坦堂の蔵書が細川家に入り、斯道
文庫に永青文庫本として寄託されているので、之を底本にして影印し
た。底本は自筆稿本ではない。従って、坦堂の言う如く、天壤の孤本
であるかどうかは判らぬが、現在のところでは、他の傳本は知られて
いない。西廂の注釋は、明治中期に、岡島獻太郎(明治二七)・田
中參訓(從吾軒)(明治三一)・坂本信次郎(晃峯)(明治三三)
・鹿島修正(明治三六)によって企てられが、幕末に、已に之を成
し、而も、漢文を以て著したということは、特筆せざるを得ない。而
も、この四書は、この本を參考にはしていないようである。荷塘の傳
は、?木博士が已に引用せられた如く、朝川善庵の「荷塘道人圭公傳
碑」に詳述されている。初名は松陀、一圭・荷塘道人と號し、陸奥の
人。夙慧非凡の稱があり、一度佛門に入り、信州から畿内を行脚、日
田の淡窗塾に學び、間もなく長崎の崇福寺に逗留して、唐話を譯司周
某に就いて學び、明?の樂を?人に習い、月琴を學び、何れも堂に入
り、室に入った。在留五年餘、日田に戻り、信濃に歸る途上龜井昭陽
を訪れて歡待され、留ること數月に及んで、辭して、京攝尾信を經
て、年三十一、江戸本所に寓して、善庵・天民・雲山(宮澤雉)等に
西廂・琵琶を講じ、後淺草に移り、明樂劇曲を教え、自ら樂器を作る
に至ったというが、生來痩軀病身、天保二年七月、僅に三十七歳で病
歿した。碑には、著書が多かったが、脱稿したのは北西廂記註釋・月
琴考・胡言漢語考の數部のみとある。上掲の琵琶記の注も未完成か。
胡言漢語考は、或は、唐話辭書類集第一集に影印した胡言漢語である
かも知れず、月琴考は所在未詳。拙架蔵する所の嫦娥?韻は、自筆稿
本であろうと思われる。
〔譯〕琵琶記 寫本 大一冊
琵琶記の第五齣までの原文附和譯。未完成の稿本らしく、江戸末期の作
と考えられる。勿論、荷塘の作とは別本であるが、附刊とする。別に、
六十種曲本の水滸伝の全部に旁譯を加えたものを蔵し、之をも合刊しよ
うとしたが、頁數の都合で、之を別の機會に譲る。
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