聖武天皇宸翰『雑集』「釈霊実集」研究
2010-1-20
汲古書院
東京女子大学古代史研究会 編
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【序より】本書は、正倉院蔵、聖武天皇宸翰『雑集』一巻のうち、「鏡中釈霊実集」三十編に関する東京女子大学古代史研究会による共同研究の成果である。具体的には、同集三十編のすべてについて、正確な訓読と注解、及び考察をこころみ、『雑集』「鏡中釈霊実集」の解題と四編の研究論文を加え、これに本文影印と語釈一覧を付したものである。
聖武天皇宸翰『雑集』は、東アジアにおける文化交流の結節点に位置しているといえよう。それは八世紀初頭までの中国文明、即ち仏教・道教・政治制度・文学・民間信仰などの膨大な堆積を集約していると同時に、八世紀以後の日本文化、ことに奈良・平安朝の文物・制度・言語表現の源泉になっている。
「鏡中釈霊実集」は、『雑集』に収められた文章群の中でもっとも新しく、開元五(七一七)年以後の成立であることは疑問の余地がない。王維・李白ら盛唐の大詩人たちがようやく初期の作品を発表しはじめたころにあたる。聖武天皇は実にそのわずか一〇年あまり後の天平三(七三一)年に、『雑集』を書写している。そこに、同時代の中国仏教に対する日本人の強烈な関心を見ることができる。と同時に、八世紀の中国越州における仏教の生きた姿を、この中にありありと見ることもできるのである。日本人の関心のありかたと中国仏教の実態を伝えた、その二重の意味で「鏡中釈霊実集」は稀有の存在といわなくてはならない。
『雑集』の価値については、内藤湖南以来すでに多くの人々から指摘され、その研究も各方面で進んでいる。 しかし恐らく、『雑集』に向きあった先人たちの誰もが痛感したであろうことは、この文献の研究のためには歴史学・仏教学・日本文学・中国文学など諸分野の協力がどうしても必要であるということだったに違いない。多くの分野の共同研究なしには、『雑集』の持つ大きな意味を解明することはできない。そうした認識が、今、広く共有されていると考えられる。
【本書の特色】
○本文影印 宮内庁正倉院事務所御蔵の原版写真で掲載。各作品題名上の枠外に、注解篇と同じ各作品番号を付した。
○注解篇 全三十編・各作品ごとに、翻刻本文・訓読・語釈・通釈・対句・補注を基本構成とし、讃のあるものには韻を記し、必要に応じて考説を記した。本文は一句ごとに番号を付して訓読し、内容ごとに区切って、語釈・通釈を施した。
語釈中の用例は「釈霊実集」及び『雑集』、その他の文献・仏典や敦煌文献などからも多数引用した。
○研究篇 研究会での『雑集』講読の成果をまとめたものである。
○語釈・補注一覧 注解篇で採り上げた語句、補注の項目、及び考説の題を、作品番号・句番号で検索できるようにした。
絵(カラー)/序/凡例
解 題
本文影印
注 解 篇(各作品の番号は、合田時江編『聖武天皇『雑集』漢字総索引』の作品番号に拠る)
八一 画弥勒像讃一首并序
八二 画錠光像讃一首并序
八三 画弥勒像讃一首并序
八四 祇洹寺経台内功徳讃一首并序
八五 画地蔵菩薩像讃一首并序
八六 盧舎那像讃一首并序
八七 画観音菩薩像讃一首并序
八八 瑞応像讃并序
八九 迦毘羅王讃一首并序
九〇 毘沙門天王讃一首
九一 画釈迦像讃一首并序
九二 会稽県令独孤公画讃
九三 予且画讃
九四 祭文為桓都督祭禹廟文
九五 為睦州別駕崔 祭禹文
九六 劉明府八日設悲敬二田文
九七 大善寺造像文
九八 法花寺造浄土院文
九九 為人父母忌斎文
一〇〇 為人父忌設斎文
一〇一 為人母遠忌設斎文
一〇二 為人母祥文
一〇三 為人妻祥設斎文
一〇四 為人妻妊娠願文
一〇五 為人息神童挙及第設斎文
一〇六 為人為息賽恩斎文并為母慶造経成了
一〇七 大興寺造露盤文
一〇八 為人社斎文
一〇九 大善寺造橋文
一一〇 七月十五日願文
研 究 篇
1 『雑集』「鏡中釈霊実集」の意義と注解の成果 鉄野昌弘
2 聖武天皇宸翰『雑集』界線外行頭の付点 有富由紀子
3 聖武天皇宸翰『雑集』巻末の三言四句―聖武天皇と天台宗第二
祖慧思の思想の接点― 有富由紀子
4 越州法華寺と古代日本 稲川やよい
主要引用史料テキスト一覧/あとがき(付・初出一覧)/語釈・補注一覧(付・考説一覧)
執筆者一覧(五十音順) 有富由紀子・安藤信廣・稲川やよい
勝浦令子・北林春々香・日下部真理
白石ひろ子・舘江順子・鉄野昌弘・西洋子
丸山裕美子・三崎裕子・吉川敏子
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