湖底の森
2000-10
文藝春秋
高樹 のぶ子
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大雪山国立公園の然別湖で失踪した恋人への未練を残して、湖畔で49歳の現在まで独身のまま旅館で働く吉岡のもとに、今年も亜希子が訪ねてきた。わが娘のように育てあげた恋人の遺児である。だが、彼女の父親は吉岡ではなかった。深く静かな愛執の年月を描く表題作ほか、大人の愛を奏でる八つの物語を収録。
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生きていてくれ、と思いながら、どこかで死を望んでいた。
愛していてもだ。もっと愛する人が出て来れば、そういうことになる。
絶望は何ひとつの事実に対して起きる感情ではなく、あらゆるものが色褪せ崩れるのだ。
男と女、この世には、男と女の数だけの、いえ、その何倍もの出会いと愛と別れがある。・・・・・一組の男女が出会い、そこに愛が芽生える。そこまではよい。当然のことだ。・・・・・・愛は必ず人を裏切る。当事者だけではなく、回りの者をも裏切り、傷つけることをも容赦しない。つまり、ひとたび男女が出会い、そこに愛なるものが生じてしまったら、愛は当事者たちの思惑を越え、一匹のけもののようになって、荒れ狂う。愛なるものは生き物。人間の理性や思惑を難なく乗り越え、裏切り、一人勝手に動き出す魔性を秘めた生き物。
どこかで、自らの中の愛の衝動を否定しながら、また一方では、その衝動こそが、自分自身が生きている証しでもある。
愛という生き物を肉体に宿したとき、女性はいのちを育む母胎のような存在となる。そして、母胎に宿る生き物を見守り、飼いならすように、その愛に万全のエネルギーを注ぎ続けるのである。
恋とか愛とかはロマンチックじゃない。・・・・・愛の甘さも切なさも全てを越えた果ての恋は残酷。それがわからないと本当の恋は出来ない。