中右記部類紙背漢詩集
2011-6-8
汲古書院
中村璋八 ・伊野 弘子 訳注
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【本書より(抜粋)】
『中右記』は、中御門右大臣藤原宗忠が、寛治元年(一〇八七)に起筆されてから保延四年(一一三八)二月に出家するまでの約五二年間にわたる私暦記である。本詩集を発見した川口久雄教授によれば、「天永二年中納言殿作文に宗忠に一子侍従宗成が参加し作品の一篇を本集に残しているが、宗成又はそれに近い人を本集の撰者と考えられる――後略。」と次男宗成の功績も推理しつつ、「寛弘期より院政期に至る一二〇年の間、主として七言律詩、総計四五五首、うち一六三人は詩人として全く知られなかったところ、わが文学史上に新たに記録されるべきものである。―中略―こうゆう大部なものが成立後間もなく埋没して長い歴史の時間、杳として消息を断っていたのである」と『中右記部類紙背王朝漢詩集の出現とその内容』(平安朝日本漢文学史の研究)に記され、日本漢文学史に加筆されるべき一大漢詩集の出現を発表された。この漢詩集は、白楮紙で公卿補任や下文・勘文・消息文などの貴重資料なのに共に反古にされ、継ぎ合わされて巻子本とした。川口氏の功績によって再び世に出たこの膨大な作品群と、未知の作者も調べてみると、和歌の世界ではかなり活躍している人々が多く、漢詩も和歌も両面での研鑽が、平安期の男性達に要求されていたことが見えてくる。本書で調査した作者についてのプロフィールを巻末に紹介した。
【本書の構成・特色】
◇宮内庁書陵部図書寮叢刊・平安鎌倉未刊詩集、『中右記部類紙背漢詩集』の翻刻を底本に、巻五・七・九・十・十八・廿八の四四八首他を詩会・詩宴別に区分し注釈を施した。
◇各詩題には、詩題解説を付し、基本的に詩一篇を一頁に収め、現代語訳も本文と同じく、一句ごとに改行し、語釈も一頁の中に組み入れた。〔詩題解説〕・〔原文〕・〔読み下し〕・〔現代語訳〕・〔語釈〕順に配列。
◇巻末に、作者紹介として、作詩者の逸話・エピソード・経歴・業績を収める。
◇平安朝期漢詩文の現代語訳であるとともに、歴史資料としても貴重文献の初公刊。
【内容目次】
中右記部類巻五(一~一七)
長元七年五月十五日 月是作松花 二十三首/某年冬月某日 松色雪中鮮 詩欠/
某年春月某日 寒松猶有雪 七首/長治元年十一月十日 白雪満庭松 十一首/
応徳元年六月二十五日 松間風似秋 五首ほか
中右記部類巻七(一八~三〇)
寛治五年二月二十八日 芳友不如花 九首/某年秋月某日 月是為秋友 四首/飲食部上目録/酒部目録
中右記部類巻九(三一~四三)
某年春月某日 遊天竺寺/承暦二年二月二十九日於棲霞寺即事/
寛治七年二月十九日 於浄土寺上方即事 六首/康平三年二月某日 於世尊寺即事 五首/嘉保三年三月一日 遊双輪寺 八首ほか
中右記部類巻十(四四~五二)
永承六年三月三日 乗酔望桃源 八首/康平四年三月三日 曲江花勧酔 十九首/
天喜四年三月三日 勧 酔是桃花 九首/永長二年三月三日 桃花唯勧酔 十二首/
治暦三年三月三日 酔来晩見花 五首ほか
中右記部類巻十八・廿八(五三・五四)
寛治某年三月某日 羽爵泛流来 二十五首/長暦二年三月三日 桃花薫水上 五首
作者紹介・索引
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